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帰庵堂は岡山県画廊、美術商、骨董商、絵画商、備前焼の新時代の作品提供のショップです。

電話でのお問い合わせはTEL.0868-75-1385

〒709-4255 岡山県美作市国貞579-1

岡山県古書画・古美術・骨董ー松坂帰庵ー帰庵堂

帰庵堂は岡山県美作市で古書画・骨董・古備前を扱う骨董店です。骨董商帰庵堂の看板を譲り受け、書画骨董・掛け軸・古書画の販売を行っています。帰庵堂の名称の根本となった松坂帰庵大僧正についてお話しします。松坂帰庵は明治25年4月5日英田郡美作町林野の真言宗安養寺に生まれました。松坂帰庵の父は旭宥と言い、母を八重と言います。明治39年3月林野小学校を卒業し、4月に得度し本名を旭信と改めました。大正5年3月真言宗京都大学卒業後、母校にて教団に立ちました。書画をはじめ畠山八洲、後江戸時代の名筆として著名な慈雲尊者に私淑し岡山の寂巌の書風を研究しさらに唐代の法帖を習い勇気素朴な書風を完成した。日本画は河邨虹外、篆刻は園田湖城に学び妙なる書画の世界を確立。昭和5年1月岡山市三野、法界院33世住職として赴任。昭和13年3月鐘楼を完成。昭和34年、仁和寺より大僧正を送られる。昭和34年8月23日に没年を迎え68歳にて入滅。岡山県の書画骨董の世界で、竹筆を用いた書画の世界を確立した名僧と言える。岡山県美作市の帰庵堂の古書画・古美術は松坂帰庵由来の名称を元に確立成立しているものです。松坂帰案大僧正の威徳を大切に誠実に対応したいと存じます。松坂帰庵は岡山県美作市の僧侶でしたが、幼馴染(おさななじみ)に僧侶として仏門に入ったあとも親しく接し、書画などを林野地域を中心に幼馴染に男性、女性の区別なく配ってあげた事でも有名です。

商品紹介item list


刀剣武具の取り扱いは行っておりません。この看板は宮尾氏より譲り受けた看板です。宮尾氏は刀剣の鑑定の権威で、裸電球を鑑定に用い、新刀、新々刀など刀の鑑定の権威と言える人物でした。他界されて残念です。
非売品

岡山県古美術、古書画を語る上で「岡山の書」は非常に参考になる書籍です。
松坂帰庵、平沼騏一郎、犬養毅、津田白隠らそうそうたる書家がラインナップされています。書道芸術を語る上で非常に参考になる書籍と言えます。

初代帰庵堂店主と宮尾勤氏が編集した松坂帰庵の冊子です。

縦幅が39cmで横幅が29.3cmです。
尾形乾山
初代尾形乾山は陶芸、花鳥山水に優れた才能を発揮した江戸時代の作家81歳の人生を芸術に捧げ、江戸時代を代表する画家と言える人物です。
平野五岳・・・平野五岳は明治を代表する画家の一人。詩書画三絶を唱えた画家。
平野五岳は雅号を古竹と称した。
参考文献 美術年鑑。
ーレア物・帰庵ー
この作品は松坂帰庵の明治39年、名前を旭信と改め、帰庵と名乗る前の作品です。非常に珍しい作品です。
松坂帰庵本人が鑑定したらしく、後年の鑑定共箱に入っています。
松坂帰庵の作品とは、「江戸時代の慈雲尊者」を研鑽した竹筆による独特の作風で、墨の出方が特徴です。
  松坂帰庵が絵付けをした署名入り虫明焼の抹茶椀
黒井一楽が製作した虫明焼です。虫明焼は岡山県の焼物の世界では備前焼と双璧をなす焼物と言われています。黒井一楽は虫明焼の達人として美術書などに紹介されています。
そして黒井一楽の抹茶椀に起筆したのが松坂帰庵です。長年の使用により銀による修繕が見られます。松坂帰庵は掛軸の他色紙などに作品が見受けられます。松坂帰庵の枯れ筆、竹筆による書画の世界は岡山県の美術の世界にとって重要な役割を果たした芸術家であり、文人であると言えます。
その他犬養木堂「犬養毅」、平沼騏一郎などの岡山県の政治家も優れた芸術作品を岡山県に残しています。

 
 漂白の画家出現!!
岡山県美作市の帰庵堂が二代目主の時、
漂白の画家「杉本白象」なる画家が帰庵堂に立ち寄り、様々な話しをしたと言う。しかし帰庵堂の主は杉本白象と言う僧が空腹であることを見て取った。そして帰庵堂の主は食事を杉本白象と言う画家にご馳走した。すると、不思議な事に即興で絵画を書き、御礼として帰庵堂の主に送ったと言う。何処を探しても杉本白象の存在は見当たらず、まさに漂白の画家と呼べる人物の絵画だと思います。また、森戸国次先生も津山市に立ち寄られ、絵画を残され、棟方志向先生も岡山県に立ち寄られるなど、岡山県の画廊をはじめ美術商は元より、旅館などに漂白の画家として多くの優れた芸術家の方々が見えられております。高野山真言宗管長の森寛紹座主では無いでしょうか?
縦が27.5cmで横幅が31cmです。
岡山県津山市の作家水島二郎先生の油絵です。50号というサイズです。
実寸は画板縦116cm横91cmでございます。
岡山県美作市の美術品コレクター道広義博がコレクションした油絵です。
題名は「丹後山の風情」です。今から15年前に津山市の水島先生と電話で話した事があります。
その時は水島先生は記憶によると油絵ではなく「陶芸、焼物」の研鑽を行われていたように記憶しています。

縦14cmで
横が32.2cmです。
梅花図
俵屋宗達筆
六曲一双屏風の
半双
テレビ番組のバラエティー番組「開運!なんでも鑑定団」に登場した話題作です。鑑定家は「真贋未詳」と判断した話題作です。帰庵堂は俵屋宗達の本物としてご案内させて頂きます。
俵屋宗達は江戸時代を代表する画家で風神雷神図屏風が有名です。俵屋宗達ゆかりの家系が管理していた屏風です。

 
パブロ・ピカソ工芸
パブロ・ピカソ工芸は非常にレアな工芸だと感じます。パブロ・ピカソの木工工芸の板ですが、昭和時代に和気に「メガマート」というスーパーがありました。その隣に「中国民芸館」が存在しました。民芸館の移設に伴い、私ども帰庵堂が一括して20枚近くの「パブロ・ピカソ」の木工の工芸品を入手しました。「ぜひとも全て買って欲しい」との依頼でしたので、全ての木工工芸を購入しました。「パブロ・ピカソ」は1881年から1973年まで活躍したコンテンポラリーアートのパイオニアです。海外市場や海外マーケットでは直筆絵画などオークションで驚くべき価格を記録した画家です。私ども帰庵堂は常に次世代のアートとは何かを追求しています。木工芸アートの存在意義を次世代のアートではないかと際認識している次第です。パブロ・ピカソの工芸物は約20点に上り、収蔵量、収蔵数はかなりのものと自負しています。
また、犬養毅こと犬飼木堂の木工芸も収蔵しています。パブロ・ピカソ工芸は当然のことながらパブロ・ピカソ本人が制作したことでないことは事実だと思います。大切なことはパブロ・ピカソの絵画が板にデザインされている事実だと思います。犬養木堂も本人が彫ったとは考え難く、書体などは事実本人の物だと思います。北大路魯山人が各地を回って焼物を焼いたという説がありますが、中には立案考案し、窯元に「作っておいてくれ」と依頼したものもあるかと思いますがいかがでしょうか?

二代目帰庵堂主人宮尾氏と言えば織部を好んで骨董市で購入していました。骨董市と言っても露店の骨董市ではありません。岡山県には月に何回もプロの骨董商や古物商が集まって競りを行う骨董市が存在したのです。津山市の徳守神社や久米郡亀甲(かめのこう)や県南でプロによる骨董市があり、織部を骨董市で購入していた。織部焼きをプロは「織部」と呼ぶのです。そして三島焼きも三島焼きとは呼ばず「三島」と呼びました。

帰庵堂が珍しい作品だと感じる作品は九州の色絵薩摩の布袋です。色絵は幕末に制作され、この布袋の薩摩も幕末の作品だと思います。そして、丹波焼の丹彩の印のある丹波焼ですが、帰庵堂は大正時代だと思います。制作方法は人形を制作する時に型どりを行い合わせを行う技法で制作された丹波焼だと存じます。

瀬戸焼・・・
愛知県瀬戸市を中心に鎌倉時代や室町時代に生産が始められた陶器で瀬戸焼と言う焼き物が存在します。釉薬を主に用い鉄紬のかけられたもので天然の鉄分のすり潰した水と混ぜ合わせて作った焼き物で帰庵堂は江戸時代中期から末期に制作された瀬戸焼の皿だと存じます。黄色瀬戸焼も収蔵して御座いますのでお気軽にお問い合わせください。専門雑誌では瀬戸新製と言う名称かと存じます。

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