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帰庵堂は岡山県画廊、美術商、骨董商、絵画商、備前焼の新時代の作品提供のショップです。

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香川県出身の院展作家の高橋健先生の作品です。岡山県美術商、画廊、絵画商の帰庵堂は誠実対応をモットーに皆様のお心に安らぎを送る新時代のアートギャラリーを目指しています。
作品の画寸は縦が31.5cmで横が32.5cmでございます。

愛知県出身の日展作家三浦光祥先生の
作品です。日展会友の作家として創作活動を埼玉県で現在行われている作家です。帰庵堂は岡山県美術商、岡山県画廊ですが全国の作家の先生の作品を皆様に提供販売させていただきます。
作品の画寸は縦が32.7cmで横24cmでございます。
備前焼の景色について・・・
備前焼の「ゴマ」といわれる景色について皆さんはどのように思われますか?
「ゴマ」は備前焼きの景色であり、備前焼独特の特徴だと思います。
自然が織り成す備前焼独特の景色のひとつが「ゴマ」だと帰庵堂は考えます。
備前焼の景色である「ゴマ」が失敗作と勘違いされることが残念です。
名品の味わいとは置物における「ゴマの景色」を理解することだと思いますが、
皆様はどのようにお感じになりますか?
左側の観音像は作者不詳で右側の巨大な観音像は本山和泉先生の作品です。
備前市の美術商の山形さんから購入させて頂きました。
備前市の美術商山形さんの若社長は男前でハンサムであり、当時美術商の山形は二つの店舗を構え、女性の従業員を雇用していました。私は何回もこの観音様が欲しくて美術商の山形さんに足を運びました。若社長の英断で価格が決められ非常にありがたく思った記憶があります。この観音さまは分家の方にあった観音様で、山形の本店には石井不老さんの観音様が祀られていました。石井不老の作品の特徴は「般若心経」が彫ってあるかどうかが鑑賞のポイントで、観音様に観音経が彫ってなかったので私は抵抗を覚え本山和泉先生の観音様を購入させていただきました。
高さは59.5cm横幅19cmです。
備前焼作家本山和泉先生の陶印を画像掲載させて頂きますので宜しくお願い申し上げます。

備前焼作家藤原陶臣先生は神仏の作品に優れたお力をお持ちの先生です。
この作品を購入したのは昭和時代にさかのぼります。
作品自体にパワーがみなぎり、奥様に「すごい作品だ!!」
と申し上げた事を思い出します。藤原陶臣先生は備前焼作家として先祖代々同じ型で焼物を制作されましたが、その焼物の型を奥様が売却されてしまい、先祖代々の焼物がこの作品形式で終了となったようです。
この焼き物の作品は観世音菩薩、弁財天、寿老人の作品で藤原陶臣の陶印が入っています。
画面をクリックしてください。
岡本碧山氏の竹細工です。岡本碧山氏は昭和を代表する岡山県の伝統工芸師です。
岡本碧山氏は、備前焼をはじめ、竹細工にいたるまで様々な伝統工芸の世界で岡山県で昭和の時代を代表する作家といえます。作品は藤原一臣氏より購入させていただいた作品です。


絹谷幸二(縦37.5cm 横45.5cm)
絹谷幸二先生は現代洋画家で著名。
日本芸術院会員。受賞歴芸術院賞。独立会員。毎日芸術賞。
日本芸術大賞。安井賞。昭和18年生まれ。

石本正(いしもとしょう)サイズ縦32cm横40cmです。
島根県出身。対象8年生まれ。挿画会に所属し京絵の名人と称せられる。
芸術選。日本芸術大賞。京都芸大名誉教授。




 帰庵堂主人道廣義博は天然タイガーアイ「アイアンタイガー」を始め中国で玉(玉)と言われる自然石を始め和合神や寿老人なども収集して参りました。岡山県の昭和時代の中国民芸館「シノン」様の奥様に大変にお世話になりました。工芸石も綺麗で神秘的だと思います。どうやって工芸石はできるのかが不思議な重いです。帰庵堂をよろしくお願い申し上げます。私は岡山県で電話占いをしていますが、電話占いになった当時、蛇石の事をお客様に話しました。すると電話占いのお客様は「先生、そんな珍しい石があるのでしたら売ってください」と依頼がありました。蛇石は弁財天の使いという発想で開運に繋がるというお考えだったのでしょう。 画像の寿老人の備前焼は陶印が「春湖」となっていますが帰庵堂鑑定士道広一成は初代西村春湖だと鑑定いたします。制作時代は昭和初期で、この頃名前、花押などが用いられたことがあるようです。道広一成はこの寿老人を西村春湖の「一品作」と鑑定させて頂きます。贋作を制作必然性や必要性を感じないからです。昭和二年2月窯元が見直されたと文献にあります。この頃から製作者の名を押す傾向が現れ、また花押なども見られたそうです。また作品の製作が自然な状態だと考えられます。

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